中森 明菜(なかもり あきな、本名も同じ、1965年7月13日 - )は、日本の女性歌手、女優。
東京都清瀬市出身。血液型はA型。星座は蟹座。身長160cm。所属レーベルはユニバーサルシグマ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。所属事務所はFAITH。公式ファンクラブはFAITHWAY。
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1965年 - 1981年
1965年7月13日、東京都大田区に、6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、三女として生まれる。兄弟と姉妹の名前にはそれぞれ「明」の字が採られ、中森も同様の命名を受ける。出生後、清瀬市に移り住み幼少期を過ごす。4歳から14歳の時には、バレエ教室「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っていた。やがて、母親の影響から歌手の夢を抱くようになり、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に幾度となく挑戦していく。1981年の本選3度目の挑戦時に、同番組の史上最高得点で合格する[本気だよ、132-142頁]。これを機に、芸能プロダクションの「研音」、レコード会社の「ワーナー・パイオニア」への所属を決める。
1982年 - 1989年
1982年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。1982年当時の女性アイドル達にはキャッチフレーズが付けられ、中森のキャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」であった。同年、第2弾シングル「少女A」がヒット。2枚目のスタジオ・アルバム『バリエーション〈変奏曲〉』が、オリコン週間アルバムランキングで初の1位を獲得。3枚目のシングル「セカンド・ラブ」で初のオリコン週間シングルランキング1位を獲得し、1983年を代表する大ヒット曲となった。歌手としての人気を着実に獲得していくのに加え、1983年のブロマイド売上実績の女性部門で、中森は首位となる。
デビュー当時より、衣装・メイク・振り付けに自身がかかわり、楽曲製作において積極的に意見を取り入れていた中森は、1984年11月に、井上陽水から楽曲提供を受けた10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」をリリース。アイドルからアーティストへの転換期を迎える[北島]。さらに、歌唱表現力(特に圧倒的なロングトーンは“明菜ビブラート”と呼ばれている)にも磨きをかけ、作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受ける。1985年6月にリリースした12枚目のシングル「SAND BEIGE -砂漠へ-」においては、新人の作家によるデビュー作が起用された。その後、同年末の第27回日本レコード大賞で、11枚目のシングル「ミ・アモーレ」が日本レコード大賞を受賞する。1986年8月リリースの9枚目となるスタジオ・アルバム『不思議』では、アルバムのプロデュースを自身で担当する。以降、楽曲やアルバムのセルフプロデュース作品を発表し、アーティスト性を発揮していく。同年末には、第28回日本レコード大賞で14枚目のシングル「DESIRE -情熱-」でも日本レコード大賞を受賞し、女性ソロ歌手としては史上初の2年連続の日本レコード大賞受賞を果たした。
1987年3月、1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞でアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。同年8月、全曲英語詞の11枚目のスタジオ・アルバム『Cross My Palm』をリリース。同年末には、日本有線大賞の最多リクエスト歌手賞を1983年以来5年連続で受賞。日本レコードセールス大賞のアーティストトータルセールスには、歴代最多の4度目(1983年、1985年、1986年、1987年)となる首位を獲得する。さらに1988年には、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位週数69週を獲得し、番組史上最多回数となる[別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン、188-190頁]。同番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で、「ベストテンの女王」の異名を持つ。こうした歌手としての記録や受賞を重ねるだけにとどまらず、中森のファッション性への評価も次第に高まり、同世代の女性達からの支持も得られる。
1989年4月、シングル曲のみで構成されたスペシャル・ライブ『AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary』を開催。同年7月11日、当時交際をしていた恋人で歌手の近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、1年間ほど芸能活動を休止する。12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った。
1990年 - 1999年
1990年、デビュー以来所属していた芸能プロダクション「研音」を独立し、事務所(コレクション)とファンクラブ(Two Call)を新たに構える(前ファンクラブはMilky House)。7月、1年ぶりにリリースした24枚目のシングル「Dear Friend」が大ヒット。次作「水に挿した花」もオリコン週間シングルランキングで1位を記録し、同チャートにおいて通算21曲の1位を獲得。女性アーティストでは歴代3位の記録となっている。デビュー10周年目を迎えた1991年7月には、スペシャル・ライブ『夢 '91 Akina Nakamori Special Live』を開催した。
1992年4月、自身初の連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系、月9)に安田成美と共にダブル主演、最高視聴率31.9%を記録する。一方、この時期には、新たに事務所(コンティニュー)とファンクラブ(QUATRE BAISER)を移すが、再び所属事務所のトラブルにより年内で運営が行き詰まる。またこの間、レコード会社の「ワーナーミュージック・ジャパン」を離籍する。これは音楽制作上の意見の相違による移籍であったが、移籍トラブルをはじめとしたスキャンダル報道なども相次ぎ不遇な時期を過ごす。新作のレコーディングは、この夏から行われていたが、この年は新譜リリース実現に至らなかった。しかし、歌手としての活動と並行して、単発・連続テレビドラマの主演や友情出演といった女優としての活動の幅も広げていく。
1993年、レコード会社の「MCAビクター」へ移籍。5月に2年ぶり27枚目となるシングル「Everlasting Love ・ NOT CRAZY TO ME」を、9月には4年ぶりとなる15枚目のスタジオ・アルバム『UNBALANCE+BALANCE』をリリースする。この時期には、個人事務所(NAPC)の設立も伝えられた。MCAビクター移籍以降、低音域やファルセットを生かした歌唱表現に取り組み、1994年3月24日にリリースした自身初のカバー・アルバム『歌姫』では、歌手としての新境地を開拓する。同作はその後、シリーズ制作された。このリリースを受け、12月PARCO劇場にて、同カバー・アルバムを中心としたスペシャル・ライブツアー『歌姫 パルコ劇場ライブ』を開催する。
1995年7月、16枚目のスタジオ・アルバム『la alteración』をリリース。セルフプロデュースで制作を開始して以来、同作は、音作りから歌入れ直前までほぼ自身がかかわらないという試みをとる。11月に、ブライアン・セッツァープロデュースによる32枚目のシングル「Tokyo Rose」(AKINA名義)をリリース。1996年8月には、小室哲哉フル・プロデュースを受けた33枚目のシングル「MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ」をリリースする。また、自身初のディナーショー・ツアーを5月に開催した後、同年12月にも開催された。この年以降、年末ディナーショーを開催していく。さらにこの時期には、ファンクラブ(Alteracion)の再開も伝えられた。1997年5月には、9年ぶりの全国コンサート・ツアー『Felicidad』を開催する。
1998年、レコード会社「ガウスエンタテインメント」へ移籍。1月には連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)に主演。翌年の1999年(平成11年)1月にも、連続テレビドラマ『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』(日本テレビ系)で主演を務めた。
2000年 - 2009年
2000年、音楽プロダクション「楽工房」と提携し( - 2002年3月末)、現個人事務所「FAITH」、現公式ファンクラブ「FAITHWAY」を発足。前年に見舞われたトラブルを整理した末、マネジメントを一新。芸能活動の基盤を整える。前年末から虚実ないまぜのゴシップが流れ、所属レコード会社との契約が決定していない状況にあったが、中森は「曲でもコンサートでもいいものを届けたい気持ちが先に立っちゃうんです。それには、スタッフと色々悩みながら作り上げていく過程が大切。そうすれば結果がどうであれ、一緒に作ったという土台は残るでしょ」とコメント。こうして心機一転を図り、5月には、2年ぶり、自身初となるバラードコンサート・ツアー『中森明菜2000 ~21世紀への旅立ち~』を開催する。
デビュー20周年目を迎えた2001年5月、Music@nifty内のインディーズレーベル「@ease」にて、40枚目のシングル「It's brand new day」を音楽配信で先行リリースする。2002年のデビュー満20周年、現所属レコード会社の「ユニバーサルミュージック」に移籍、メジャー・レーベル復帰となる。同年3月、移籍第1弾カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』が大ヒット。敬愛する山口百恵の「秋桜」や、ライバル視された松田聖子の「瑠璃色の地球」などをカバーした。以降、複数のカバー・アルバム企画を発表していく。同年末には、第53回NHK紅白歌合戦に出場、14年ぶりの紅白出場であった。
2003年8月2日、台湾の音楽祭である第14回金曲奨にプレゼンターとして出演。2004年、「ユニバーサルミュージック」内に私設レコードレーベル「歌姫レコーズ」を設立する。2005年7月には、品川のclub eXにて、カバー・アルバム『歌姫』シリーズである『歌姫』、『-ZEROalbum- 歌姫2』、『歌姫3 ~終幕』の3作を中心に構成したスペシャル・ライブツアー『Akina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eX』を開催する。
デビュー25周年目を迎えた2006年、連続テレビドラマ『プリマダム』に出演。自身にとって7年ぶりの連続テレビドラマ出演となる。同年6月には、パチンコメーカー大一商会から自身をモチーフとしたパチンコ台『CR中森明菜・歌姫伝説』が導入、ヒット機となる。2007年のデビュー満25周年、1月にカバー・アルバム『歌姫』シリーズのベスト・アルバム『歌姫ベスト ~25th Anniversary Selection~』をリリース。同作は、オリコン週間アルバムランキングで4年ぶりにトップテン入りを記録する。同年6月27日には、自身初となる演歌楽曲をカバーしたアルバム『艶華 -Enka-』をリリースし、こちらも同チャートでトップテン入り、第49回日本レコード大賞で企画賞を受賞した。12月31日には、初のファンクラブ限定カウントダウン・ディナーショー『AKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008』を開催した。
2008年2月27日、1990年代に発表してきた楽曲を総括したベスト・アルバム『歌姫伝説 ~90's BEST~』をリリース。3月の2007年度第22回日本ゴールドディスク大賞でザ・ベスト・演歌/歌謡曲・アーティストを受賞した。
2009年、カバー・アルバム『ムード歌謡 ~歌姫昭和名曲集』、『フォーク・ソング2 ~歌姫哀翔歌』、通算23枚目のスタジオ・アルバム『DIVA』と6月から8月にかけて3か月連続でアルバムをリリース。9月には3年ぶり47枚目となるシングル「DIVA Single Version」をリリースする。また8月には、カバー・アルバム『フォーク・ソング』シリーズである『フォーク・ソング~歌姫抒情歌』、『フォーク・ソング2 ~歌姫哀翔歌』の2作を中心に構成した3年ぶりのスペシャル・ライブツアー『AKINA NAKAMORI Special Live 2009 “Empress at Yokohama”』を開催した。
2010年 - 現在
2010年7月13日、自身初の配信限定シングル「Crazy Love」をリリース。また、同日に、パチンコ台の第2弾となる『CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~』(大一商会)を発表、9月に導入された。同年10月28日、体調の不良により当面の芸能活動の休止を発表した。
スター誕生!
『スター誕生!』テレビ予選3度目(1981年)の挑戦時、山口百恵の「夢先案内人」を歌い合格した。なお、2度目(1980年・中学3年時)の挑戦で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったが、審査員の松田トシが「歌は上手だけど顔が子供っぽいから、童謡でも歌ったらどうかしら?」と批評[本気だよ、129頁]。これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないんじゃないんですか!?」と抗議した。実は最初の挑戦時(1979年・中学2年時)にも松田トシは中森を批評しており岩崎宏美の「夏に抱かれて」で挑んだが、「年齢のわりには、大人すぎる」と批評した。
3回目の出場時、『スター誕生!』チーフ・プロデューサーの金谷勲夫は、番組スタッフの中には中森が常連の出場者であるため出場に難色を示す声も出たという[ポポロ、124-125頁]。しかし3回目の時の中森には、1・2回目の挑戦時以上に光り輝くものが見えた。美しさの中にあるかげりを感じられ、強く推して出場させたことを語っている。
デビュー当時
当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本名でのデビューを希望し本人が拒否した。なお、デビューに際し、大東学園高等学校より明治大学付属中野高等学校定時制へ編入するが、芸能活動専念により休学後中退する。
中森がデビューした1982年はアイドルの当たり年で、この時期(1981年10月から1982年9月)にデビューしたアイドル達を総称して「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ。同時期には、石川秀美、小泉今日子、シブがき隊、早見優、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子らがデビューしている。
デビュー当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。このキャッチフレーズのため「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時、苦痛だったと本人が語っている。「エッチ」というのはひわいな意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている。なお、デビュー当時の体重は58kgほどあり、事務所と契約を交わした直後に「まずは歯並びを整えましょう」と言われ、本人はわりと気に入っていた前歯の矯正をしたとコメントしている。
音楽番組
1982年9月20日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に2枚目のシングル「少女A」で初出演を果たす。同期デビューの歌手がデビュー曲での番組出演を決めていくなか、デビュー曲「スローモーション」での初出演は実現しなかったが、以降ヒット曲を記録し続け、同番組にはほぼ月1ペースでの出演を重ねたり、マンスリーゲスト制での出演も果たしている。
『夜のヒットスタジオ』の司会をしていた芳村真理は当時、中森が自身でヘアスタイルから服装に至るまでのすべてのコーディネートを行っていることを知り、番組内でそのセンスのよさを絶賛した。以降、同番組に出演するときには別の歌番組とは異なる特注の衣装で毎回番組に臨み、歌う際のセット・照明との調和にまで気を配るほど、トータルプロデュースに気合を入れていた。芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『最近、おしゃれしてる?』と言われて、おしゃれをした。真理さん見てますかー?」と芳村に画面を通じて呼びかけたこともあった。また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当したこともあった。
久米宏が『ザ・ベストテン』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時からいろいろと親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙を見せた。2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版スペシャルでは、歌前に久米から応援の電話が入った。「番組内でもほとんど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。
中森は『ザ・ベストテン』出演当時について、番組スタッフの番組や出演するタレントへの愛情の深さと熱意を感じていた、さまざまなアイデアやこだわりを持った美術や照明・セットに対抗し、勝負するかのように懸命に表現してきたこと、また、熱意を感じられる番組は限られており、この時代を過ごせたことは幸せであったと振り返っている。
幼少期に邦楽では松任谷由実や矢沢永吉らを好んで聴いていたが、もともとの音楽のルーツについては、姉や兄たちがディスコミュージックやソウルミュージックを聴いていた影響として「ブラックミュージック」を挙げており[ポポロ、102-104頁]、洋楽の影響を受けていることも明かしている。また、自身の作品については、すべてベースやバスドラムの重低音を効かせていると語っている。音楽ライターの馬飼野元宏は、デビュー以来1作ごとに作家を入れ替え、幅広い世界を歌い続けてきた中森の最大の特徴として、「『路線』が存在しないことである。」と解説している。
colspan="2" | シングル||colspan="2" | シングル||スタジオ・アルバム
style="vertical-align: top;" |||style="vertical-align: top;" |||スローモーション]](1982年)* 少女A(1982年)* セカンド・ラブ(1982年)||の神話]](1983年)* トワイライト -夕暮れ便り-(1983年)* 禁区(1983年)* 北ウイング(1984年)* サザン・ウインド(1984年)* 十戒 (1984)(1984年)* 飾りじゃないのよ涙は(1984年)||ミ・アモーレ]](1985年)* SAND BEIGE -砂漠へ-(1985年)||SOLITUDE]](1985年)* DESIRE -情熱-(1986年)||ジプシー・クイーン]](1986年)||Fin]](1986年)* TANGO NOIR(1987年)||BLONDE]](1987年)||難破船]](1987年)||AL-MAUJ (アルマージ)]](1988年)||TATTOO]](1988年)* I MISSED "THE SHOCK"(1988年)||LIAR]](1989年)||Dear Friend]](1990年)||style="vertical-align: top;" |* 水に挿した花(1990年)* 二人静 -「天河伝説殺人事件」より(1991年)* Everlasting Love ・ NOT CRAZY TO ME(1993年)* 片想い・愛撫(1994年)* 夜のどこかで ~night shift~(1994年)* 月華(1994年)* 原始、女は太陽だった(1995年)||Tokyo Rose]](1995年)* MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ(1996年)||APPETITE]](1997年)* 帰省 ~Never Forget~(1998年)* 今夜、流れ星(1998年)||とまどい]](1998年)* オフェリア(1999年)||Trust Me]](1999年)* It's brand new day(2001年)* The Heat ~musica fiesta~(2002年)||Days]](2003年)||赤い花]](2004年)||初めて出逢った日のように]](2004年)||落花流水]](2005年)* 花よ踊れ(2006年)* DIVA Single Version(2009年)||Crazy Love]](2010年)||style="vertical-align: top;" |* プロローグ〈序幕〉(1982年)* バリエーション〈変奏曲〉(1982年)* ファンタジー〈幻想曲〉(1983年)* NEW AKINA エトランゼ(1983年)||ANNIVERSARY]](1984年)||POSSIBILITY]](1984年)||BITTER AND SWEET]](1985年)* D404ME(1985年)||不思議]](1986年)||CRIMSON]](1986年)||Cross My Palm]](1987年)||Stock]](1988年)||Femme Fatale]](1988年)||CRUISE]](1989年)* UNBALANCE+BALANCE(1993年)||la alteración]](1995年)||SHAKER]](1997年)||SPOON]](1998年)||will]](1999年)* Resonancia(2002年)* I hope so(2003年)||DESTINATION]](2006年)||DIVA]](2009年)
style="vertical-align: top;" |コンサート・ツアー||style="vertical-align: top;" |コンサート・ツアー||Akina Milkyway '83 春の風を感じて]](1983年)* RAINBOW SHOWER(1983年)* 逢いたい菜 逢えるか菜 中森明菜音楽鑑賞会(1984年)||BITTER & SWEET]](1985年)* LIGHT & SHADE(1986年)||A HUNDRED days]](1987年)||Femme Fatale]](1988年)||Felicidad]](1997年)||SPOON]](1998年)* 中森明菜 2000 ~21世紀への旅立ち~(2000年)||ALL ABOUT AKINA 20th Anniversary IT'S BRAND NEW DAY]](2001年)||MUSICA FIESTA TOUR 2002]](2002年)||AKINA NAKAMORI LIVE TOUR 2003 - I hope so -]](2003年)* AKINA NAKAMORI A-1 tour 2004(2004年)||AKINA NAKAMORI LIVE TOUR 2006 ~The Last destination~]](2006年)||style="vertical-align: top;" |; ディナーショー・ツアー: 1996年5月初公演。同年12月開催以降、年末開催。
音楽番組の出演はじめ、連続テレビドラマには4作レギュラー出演をしている。また、『ミュージックステーション』の第1回目放送の出演や、『スーパージョッキー』、『チューボーですよ!』、『警部補 古畑任三郎』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』の第1回目放送の歌のコーナー「THE TRIBUTE SONGS」の出演など、番組初回のゲスト出演を経験している。
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