小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター。元オフコースのメンバー(リーダー)でボーカル。株式会社ファー・イースト・クラブ(FAR EAST CLUB INC.)代表取締役社長。東京都渋谷区に在住。身長172cm。血液型はA型。
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横浜市金沢区出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育つ。横須賀中央のバイオリン教室に通っていた。実父はすずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章を受賞している。
関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、全国でも有数の進学校である聖光学院に進学。中学受験のために通った進学塾で鈴木康博と出会う。中高一貫教育である聖光学院では、中学校・高等学校を通じて同級生だった。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露した。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホールがある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。なお、1999年、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。
その後、小田、地主は東北大学に進学、建築工学を専攻。小田は聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、小田は千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース(後のオフコース)」と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京だとレベルが高い、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める[田家秀樹 『ジャパニーズポップスの巨人たち―21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(TOKYO FM出版 2002年8日)ISBN 978-4887450714 。TV番組「月曜組曲・風のようにうたが流れていた」でも小田自身による同趣旨の発言あり。]。
しかし音楽一本に決めた鈴木、音楽をあきらめ建築家に進路を定めた地主に対し、小田は自分の道をまだ定められず、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、担当教官に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。
オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。オフコース時代の活動の詳細はオフコースの項参照。
1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。
1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、ドラマと見事なコラボレーションを成し、ドラマ・主題歌共に大ヒット。オフコース時代に叶わなかった、「オリコンシングルチャート第1位」と「シングルミリオンセラー突破」を一挙に成し遂げた。
その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したアルバム『LOOKING BACK』『LOOKING BACK 2』や『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。
1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町の東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし、全治4週間の重傷を負う。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制が出されていたところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行しており、スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。同乗者はいなかった。幸いにも、後続車による追突や、横転、反対車線への飛び出しといったことがなかったため、九死に一生を得る。約2週間の入院を経た後奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われた、スターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。
2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。
CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ(''#テレビでの活動の節を参照'')。また、音楽以外の分野では映画やドキュメンタリーの制作なども行った。
2008年11月、京浜急行金沢文庫駅の駅メロに「MY HOME TOWN」が決まった。
2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県大船渡市民文化会館・リアスホールの落成記念公演を行った。
2010年10月発売の松尾一彦のセルフカバーシングル「せつなくて」のレコーディングにピアノ伴奏・ピアノアレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。
2011年、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む全国25会場48公演で67万人を動員する予定ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を行う。
映画制作
中学生時代に見た映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバー」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。
オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったビデオクリップを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。
1992年、第一回監督作品となる映画『いつか どこかで』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。
1997年、監督第二作目となる映画『緑の街』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、一作目での制作体験を元に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。
プロデュース / コラボレーション
ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化する。
ソングライターとして鈴木雅之、中村雅俊、島倉千代子や松たか子らの楽曲を全面的にプロデュースする他、ASKAや佐藤竹善らとコラボレーションする。
また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、泉谷しげるらとのチャリティライブ、スターダストレビュー、CHAGE and ASKAらとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。
小田自身のソロライブでも、コーラスに安部恭弘、佐藤竹善、山本潤子、加藤いづみらを起用している。
シングル
枚||枚||発売日||タイトル
1st||1st||1986年11月1日||1985 ※オフコース在籍時の作品
2nd||2nd||1988年3月5日||僕の贈りもの ※オフコース在籍時の作品
3rd||3rd||1989年10月18日||Little Tokyo
4th||4th||1989年12月1日||君にMerry Xmas
5th||5th||1990年2月21日||恋は大騒ぎ
6th||6th||1991年2月6日||Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に
7th||7th||1991年11月20日||あなたを見つめて
8th||8th||1992年1月25日||いつか どこかで
9th||9th||1992年7月25日||そのままの君が好き
10th||10th||1993年3月25日||緑の日々
11th||11th||1993年9月22日||風の坂道
12th||12th||1994年7月16日||真夏の恋
13th||13th||1995年1月25日||so long my love
14th||14th||1995年11月22日||君との思い出
15th||15th||1997年5月21日||遠い海辺
16th||16th||1997年7月24日||伝えたいことがあるんだ
17th||17th||1997年8月29日||緑の街
18th||18th||1999年10月21日||こんな日だったね
19th||19th||2000年3月23日||woh woh
20th||20th||2001年3月7日||風の街
21st||21st||2002年2月27日||キラキラ
22nd||22nd||2004年2月25日||まっ白
23rd||23rd||2005年5月25日||たしかなこと
24th||24th||2007年4月25日||ダイジョウブ
25th||25th||2007年8月15日||こころ
26th||26th||2008年11月5日||今日も どこかで
27th||27th||2009年2月25日||さよならは 言わない
28th||28th||2010年11月17日||グッバイ
スタジオ・アルバム
枚||枚||発売日||タイトル
1st||1st||1986年12月4日||K.ODA ※オフコース在籍時の作品
2nd||2nd||1988年3月5日||BETWEEN THE WORD & THE HEART ※オフコース在籍時の作品
3rd||3rd||1990年5月9日||Far East Café
4th||4th||1992年1月25日||sometime somewhere
5th||5th||1993年10月27日||MY HOME TOWN
6th||6th||2000年4月19日||個人主義
7th||7th||2005年6月15日||そうかな 相対性の彼方
8th||8th||2011年4月20日||どーも
ベスト・アルバム
枚||枚||発売日||タイトル
1st||1st||1991年5月18日||Oh! Yeah!
2nd||2nd||1997年11月21日||伝えたいことがあるんだ
3rd||3rd||2002年4月24日||自己ベスト
4th||4th||2007年11月28日||自己ベスト-2
セルフカバー・アルバム
枚||枚||発売日||タイトル
1st||1st||1996年2月1日||LOOKING BACK
2nd||2nd||2001年5月16日||LOOKING BACK 2
映像
* 第1回監督作品『いつか どこかで』(1992年11月20日)- VHS:PCVX-50207
* ライブビデオ『K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW』(1998年6月24日)- VHS:FHVL-1001 ※1998年2月3日、東京国際フォーラム・ホールAにて収録。
* 第2回監督作品『緑の街』(1999年5月25日)- VHS:BVS-0408,DVD:BBBJ-1063
* ライブビデオ『小田和正 カウントダウン・ライブ ちょっと寒いけどみんなで SAME MOON!』(2001年5月16日)- VHS:FHVL-1002,DVD:FHBL-1002 ※2000年12月31日 - 2001年1月1日、横浜・八景島シーパラダイス・マリーナヤードにて収録。
* 『風のようにうたが流れていた DVD-BOX』(2005年5月25日)- 4DVD:FHBL-1008~11
* 『LIFE-SIZE』(1995年~)※Far East Café Press限定販売
コラボレーション
* 花のように(1981年、北山修「35歳バースデーコンサート」収録。杉田二郎・北山修とのコラボ。オフコース時代、杉田の「人力ヒコーキのバラード」などでコーラスを担当していた)
* 忘れないわ(シングル、ハイ・ファイ・セット)
* 今だから(シングルレコード)(1985年、松任谷由実・財津和夫との共作 編曲は坂本龍一 未CD化)オリコン最高位1位
* 僕らが生まれたあの日のように(8cmCD)(1993年、ASKAらとのユニット「USED TO BE A CHILD」名義)
* クリスマスが過ぎても(8cmCD)(1996年、佐藤竹善とのユニット「PLUS ONE」名義)
* この日のこと(未CD化)(2001年、『クリスマスの約束』テーマソング。作詞・作曲:小田和正。21組のアーティストと合唱)
* クリスマスの約束 (2003年、『クリスマスの約束』内で一度だけ披露した、ゆずとのコラボレーション曲。2006年11月29日にゆずおだ名義でCDシングルとして発売)
* ビューティフルデイズ(川村結花にバックコーラスとして参加)
* Guilty(2004年、「SUZUKI MANIA~Masayuki Suzuki Tribute Album~」に収録。「小田和正 with 山弦」名義)
* 中央線(2006年、矢野顕子のアルバム・『はじめてのやのあきこ』に収録 作詞・作曲宮沢和史 ここで矢野顕子とデュエット+生ギターで一発録音にて参加している)
* 月見ヶ丘(2006年11月29日発売、スキマスイッチの3rdアルバム「夕風ブレンド」に収録。コーラスとして参加)
* 僕らなら(クリスマスの約束2006でスキマスイッチと共同制作)
* カオ上げて(2007年3月28日、佐藤竹善シングル「FOUR WORLDS」のカップリングに佐藤とのユニット「PLUS ONE」名義で発売。スキマスイッチの大橋卓弥がコーラスで参加。2007年6月20日発売のアルバム「INDIGO」にも収録)
* おやすみ(2007年4月25日発売、松たか子の8thアルバム「Cherish You」に収録。作詞・作曲:小田和正。コーラスとしても参加。スターダストレビューの根本要もコーラスで参加)
* 蘇州夜曲(2007年10月17日発売、「服部良一 ~生誕100周年記念トリビュート・アルバム~ 『Compilation』に収録)
* RED RIBBON Spiritual Song~生まれ来る子供たちのために~(2007年11月28日、AIDS チャリティ Project)
** 世界エイズデー・プロジェクト2007 チャリティー・シングル
** オフコースの「生まれ来る子供たちのために」を原曲に、サウンド・プロデューサーのYANAGIMANがアレンジを施している。
* たとえば(クリスマスの約束2007でさだまさしと共同制作)
* 恋バス(クリスマスの約束2007で矢井田瞳と共同制作。2008年3月5日発売、矢井田瞳の7thアルバム「colorhythm」にcolorhythm ver.で収録。コーラスで参加。2008年12月3日には「矢井田瞳&恋バスBAND with小田和正」名義でCDシングルとして発売)
* たしかなこと(2008年4月2日発売、大橋卓弥のソロプロジェクト第2弾シングル「ありがとう」のカップリングに収録)
* Dear Mama feat. 小田和正(2008年5月9日発売。LGYankeesのメジャー・デビュー第1弾シングルに参加)
* 笑ってみせてくれ(2008年6月25日、佐橋佳幸の呼びかけにより結成された「BAND FOR "SANKA"」名義で発売。北京オリンピック日本代表選手団 公式応援ソング。作詞・作曲トータス松本・佐橋佳幸・小田和正)
* ばらの花 feat. 小田和正 from 京都音楽博覧会2007(2008年9月3日発売、くるりのシングル「さよならリグレット」に収録。CDのみのボーナストラック)
* 思い出はうたになった(2008年11月19日発売、スターダストレビューの24thオリジナルアルバム「ALWAYS」にスターダストレビューとのユニット「オダ☆レビ」名義で収録。作詞:小田和正、作曲:根本要)
* ホントだよ(2010年4月14日発売、柴咲コウの18枚目のシングル(RUI名義含む)。柴咲からの懇請で制作。作詞・作曲・編曲・プロデュース・コーラス:小田和正。2010年6月30日発売、セレクションアルバム「Love&Ballad Selection」にも収録)
; その他
* 僕らの街で(KAT-TUNに提供した曲。『クリスマスの約束2006』でセルフカバー)
* 手紙にかえて (財津和夫への提供曲)
その他の楽曲
* 遥かな想い(横浜創学館高等学校愛唱歌) ※慶應義塾ニューヨーク学院愛唱歌「遥かな想い」英訳版
* この道を行く(早稲田大学グリークラブ創立100周年記念楽曲)
カバー・アルバム
* 21世紀への贈りもの OFF COURSE Melodies (1999年11月10日)
* ラブ・ストーリー~小田和正ソングブック (2003年2月21日)
ツアー
年||年||style="width: 25%;"| タイトル||公演規模||style="width: 10%;"| 公演日程||style="width: 20%;"| 会場||style="width: 30%;"| 備考
1990年||1990年||第一生命サウンドスペシャル||style="font-size: smaller;"|全国40ヶ所、56公演||style="font-size: smaller;"|5月31日 - 11月7日||style="font-size: smaller;"|千葉県文化会館||
1991年 - 1992年||1991年 - 1992年||第一生命サウンドスペシャル
Sometime Somewhere K.ODA TOUR FAR EAST CLUB BAND 1992||style="font-size: smaller;"| 全国33ヶ所、59公演||style="font-size: smaller;"| 12月1日 - 4月25日||市川市文化会館||
1995年||1995年||FUN MORE TIME! KAZUMASA ODA TOUR 1995||style="font-size: smaller;"| 全国36ヶ所、60公演||style="font-size: smaller;"| 1月7日 - 5月23日||アクトシティ浜松||以後「ご当地紀行」と呼ばれる、ツアー先の名所などを小田が訪れるVTR上映がスタート。
1997年 - 1998年||1997年 - 1998年||日産エルグランドPresents||style="font-size: smaller;"| 全国50ヶ所、65公演||style="font-size: smaller;"| 9月2日 - 2月3日||style="font-size: smaller;"| 神戸国際会館ハーバーランドプラザ前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。||日本武道館公演で、ステージ上に客席の設置が試みられ、以後オンステージ・シートとして定着していく。
2000年||2000年||SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000||style="font-size: smaller;"| 全国45ヶ所、59公演||style="font-size: smaller;"| 5月11日 - 10月12日||八戸市公会堂||このツアーから加藤いづみがコーラスに参加(2002年のツアーまで)。
2002年||2002年||ファミリーマート明治生命も協賛。Presents||style="font-size: smaller;"| 全国25ヶ所、39公演||style="font-size: smaller;"| 5月2日 - 8月18日||style="font-size: smaller;"| SHIBUYA-AX当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。||このツアー以降、オンステージ・シートのほか、客席内への花道設置が恒例となった。
2005年||2005年||明治安田生命Presents||style="font-size: smaller;"| 全国20ヶ所、40公演||style="font-size: smaller;"| 6月3日 - 12月22日||style="font-size: smaller;"| 静岡エコパアリーナ||動員数約32万人。
2008年||2008年||明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008
"今日も どこかで"||style="font-size: smaller;"| 全国29ヶ所、52公演||style="font-size: smaller;"| 4月5日 - 9月26日||神戸ワールド記念ホール||関東地区の公演(一部)の主催がTBSに変更それまではニッポン放送や、TOKYO FM、フジテレビ、テレビ朝日などが主催を受け持ったことがあった。東京公演はキョードー東京、横浜公演はKMミュージックがプロモートに付く。、前回を上回る約33万人を動員。
2008年||2008年||明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008
"きっと またいつか♪今日も どこかで FINAL♪"||style="font-size: smaller;"| 全国3ヶ所、4公演||style="font-size: smaller;"| 11月26日、27日||style="font-size: smaller;"| 東京ドームオフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。||ドームツアー、約20万人動員。
2011年||2011年||明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2011
"どーも どーも その日が来るまで"||style="font-size: smaller;"| 全国25ヶ所、48公演当初の予定では全国28ヶ所、55公演だった。||style="font-size: smaller;"| 5月7日 - 10月26日当初は3月26日から9月29日までの予定だった。||style="font-size: smaller;"| 長野ビッグハット||自身初の5大ドーム公演を含む。東京、神奈川を除き、日程の大半が週末に組み込まれた原則として1会場2公演だが、京都会館、びわ湖ホール、テアトロン、札幌ドーム、福岡Yahoo! JAPANドーム公演は1公演のみとなる。が、一部公演が東北地方太平洋沖地震の影響により、延期及び見送り(公演中止)となったその後、自身の64歳の誕生日に当たる2011年9月20日付の公式ホームページの掲示板で延期分を2012年春頃に再開したいという自身の書き込みがあった。。
野外コンサート
style="width: 9%;"| 年||style="width: 9%;"| 年||style="width: 10%;"| 形態||style="width: 25%;"| タイトル||style="width: 8%;"| 公演規模||style="width: 20%;"| 公演日程||style="width: 10%;"| 会場||style="width: 10%;"| ゲスト||style="width: 10%;"| 協賛
1992年||1992年||スタジアム||MY HOME TOWN
KAZUMASA ODA/FAR EAST CLUB BAND||style="font-size: smaller;"| 全3公演||style="font-size: smaller;"| 8月25日、8月29日 - 8月30日||style="font-size: smaller;"| 阪急西宮スタジアム||徳永英明、富樫要(8月30日)||三菱自動車
2000年 - 2001年||2000年 - 2001年||style="font-size: smaller;"| カウントダウン||ちょっと寒いけどみんなでSAME MOON!||style="font-size: smaller;"| 全1公演||style="font-size: smaller;"| 12月31日 - 1月1日||style="font-size: smaller;"| 横浜・八景島シーパラダイス・マリーナヤード||佐橋佳幸||日本中央競馬会
他アーティストとのジョイント
*FM仙台 20th Anniversary / 仙台放送 40th Anniversary - Super Collaboration 「FROM S」。その他の出演者:稲垣潤一、清貴、坂本サトル、HOUND DOG、中川晃教(2002年8月31日、スポーツランドSUGO)。
*サウンドコニファー229~青春の影~ CHAGE and ASKAと共演。財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、富士急ハイランド・コニファーフォレスト)
*LIVE KiroroKobukuro LIVE in EXPO'70にゲスト出演。Kiroro、コブクロ、佐藤竹善、夏川りみらと共演(2004年8月12日、大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場)
*Golden Circleにゲスト出演。寺岡呼人、スキマスイッチ、亀田誠治、ミドリカワ書房と共演(2005年11月20日、品川ステラボール)
*J-WAVE LIVE 2000+6での平井堅のコーナーに飛び入り出演。「瞳をとじて」と「たしかなこと」をセッション(2006年8月19日、国立代々木競技場第一体育館)。
*スターダストレビュー結成25周年記念ライブ『25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き』にゲスト出演。オダレビ(小田とスタレビのジョイントユニット)としてそれぞれの代表曲を演奏したほか、このイベントのために即興で作った「思い出はうたになった」(未発表曲)を根本要とデュエット(2007年5月19日、さいたまスーパーアリーナ)
*東北大学創立100周年記念祝賀会(野外)の坂本サトルのコンサートに飛び入り出演(2007年8月26日、東北大学片平キャンパス・屋外特設ステージ)
*京都音楽博覧会にてくるりと共演(2007年9月23日、2008年9月6日、京都梅小路公園)
*INGNI Presents『Your Songs Our Songs』にゲスト出演。CHARA、奥田民生、トータス松本、矢井田瞳、スガシカオ、Salyuと共演(2007年11月4日、大阪城ホール)
*情熱大陸スペシャルライブ~サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、佐藤竹善と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、森山直太朗、河村隆一、西村由紀江、古澤巌(2008年8月9日、江東区夢の島陸上競技場)
*J-WAVE LIVE 2000+8でのくるりのコーナーに飛び入り出演し、「ばらの花」をセッション(2008年8月17日、国立代々木競技場第一体育館)。
*めざましテレビ15周年記念特別企画ファイナル『元気のミナとも』グランドフィナーレにゲスト出演し、出演者、観客とともに『今日も どこかで』を歌う。このときの共演者は大塚範一、高島彩、中野美奈子、松尾翠、遠藤玲子、生野陽子、加藤綾子、中村光宏、皆藤愛子、JUJU(2009年2月15日、東京ビッグサイト西4ホール)
*コスモアースコンシャスアクト・アースデー・コンサートにゲスト出演し、絢香と共演(2009年4月22日、日本武道館)
*FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGICに出演し、松たか子、佐藤竹善、一青窈らと共演(2009年5月31日、大阪城ホール)
*情熱大陸スペシャルライブ~サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、森山直太朗と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、クリスタル・ケイ、柴田淳、一青窈、CHEMISTRY、SALT&SUGAR(佐藤竹善&塩谷哲)、秦基博(2009年8月1日、万博記念公園もみじ川広場)
*サマーピクニック・フォーエバーinつま恋にゲスト出演。南こうせつ、伊勢正三、イルカ、森山良子、尾崎亜美、坂崎幸之助、山本潤子、松山千春らと共演。サプライズゲストとして加藤和彦が出演(2009年9月20日、ヤマハリゾートつま恋特設会場)
*MONGOL800 ga FESTIVAL 『What a Wonderful World!! 09』にゲスト出演。MONGOL800と共演。その他の出演者は古謝美佐子(元ネーネーズ)、サンボマスター、ジッタリン・ジン、JUJU、DOBERMAN、Dragon Ash、MAJESTICS、マキシマムザホルモン、山嵐、与世山澄子&仲本正国グループ、RIP SLYME、RYUKYUDISKO(以上、五十音順。2009年10月3日、沖縄県読谷村ヨミタンリゾート特設会場)
*THE BOOM Special Live Tour2010 “BOOMANIAにゲスト出演。THE BOOMと共演(2010年5月29日、静岡県浜名湖ガーデンパーク屋外ステージ)。
*なごや・きよす夢まつり「夢花火音楽祭 音市音座」にゲスト出演。その他の出演者はKAN、杉山清貴、STARDUST REVUE、平松愛理、渡辺美里(以上、五十音順。2010年10月16日、愛知県清須市西枇杷島町南六軒付近 特設ステージ(みずとぴぁ庄内前)
*OTODAMA FOREST STUDIO 2010にゲスト出演。その他の出演はキマグレン、THE BOOM、スターダスト・レビュー、Chara with laidbook(2010年10月17日、神奈川県・湘南国際村めぐりの森)
チャリテイコンサート
*アフガニスタン復興支援のためのチャリティーコンサート『KAZUMASA ODA TOUR 2003「Kira Kira」』(2003年5月4日 早稲田大学戸山キャンパス内記念講堂)
オフコース時代よりテレビというメディアには不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であったが、ソロ活動を始めて以降、ネスカフェのCM出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できる余地のないオファーは論外のようである(ネスカフェのCMも、自分の注文が受け入れられたからOKしたと語っている)。
2001年『クリスマスの約束』の成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。2004年には『クリスマスの約束』の発展形である『風のようにうたが流れていた』を、3ヶ月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったようだが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと見え、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。2005年には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。
2005年末に一部で、NHK紅白歌合戦への出演依頼を受けているとの噂が流れた。小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「スキウタ」上位にランクインしたためであるが、結局出演することはなかった。小田自身はこの番組に対しコンサートで「大きな偏見を持っている」と話している。
クリスマスの約束
''詳細はクリスマスの約束を参照。''
ドキュメンタリー
* キャディ 青木功/小田和正 ~怒られて、励まされて、54ホール(1994年5月5日、テレビ東京)
: プロゴルファー青木功のキャディをつとめた時のドキュメンタリー。
* 日本をすくえ(1994年9月14日、テレビ朝日)
: チャリティライブ制作のドキュメンタリー。
その他テレビ出演
* FNS歌謡祭(1991年12月3日、フジテレビ)
* 追いかけて、追い続けて~小田和正の世界(1992年1月24日、NHKBS2)
: ファンを公言する小宮悦子によるロングインタビュー(小宮のテレビ朝日退社後、フリーとしての初仕事となった)がメイン。その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、Far East Club Band リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同一)。
* 音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日、NHK)
: 映画「いつかどこかで」監督風景やFar East Club Band リハーサル・ライブ映像
* ニュースステーション(1996年2月9日、1997年12月19日、テレビ朝日 ピアノ弾き語りによる歌唱あり)
* トップランナー(1997年9月19日、NHK総合)
* 月曜組曲「風のようにうたが流れていた」(2004年10月 - 12月、TBS)全11回
* にんげんドキュメント「小田和正 58歳を歌う」(2006年1月22日、NHK総合)(2006年1月26日、NHKBS2)
* 居酒屋の星野仙一(2006年1月26日、NHKBS2)
* 山本昌200勝達成記念特別番組「夢の途中~だから僕は投げ続ける~」(2009年1月2日、東海テレビ)ナレーション
* 笑った!歌った!涙した!元気のミナとも感動スペシャル(2009年3月2日、フジテレビ)
* 佐野元春のザ・ソングライターズ(2009年7月4日、11日、NHK教育)
本人出演
* ネスカフェ ゴールドブレンド
:* goodtimes & badtimes(1988年)、Little Tokyo(1989年)
* 第一生命
:* 君にMerry Xmas(1989年 クリスマス2日間限定)、Oh! Yeah!(1991年)、my home town(1992年)
* アルバム『Oh! Yeah!』(1991年)
:* Oh! Yeah!
* アルバム『自己ベスト』(2002年)
* アルバム『そうかな』(2005年)
* トヨタアリオン(2005年)
:* Re
* シングル「こころ」(2007年)
* アルバム『自己ベスト-2』(2007年)
* 明治プロビオヨーグルトLG21「希望の歌声」編(2009年)
:* 今日も どこかで
タイアップ
*第一生命
:* 野球編・ラグビー編 - 哀しみを、そのまま(1986年) ※野球編は小田、ラグビー編は市川崑がそれぞれ演出。
:* 卒業編 - 僕の贈りもの(1988年)
:* 仲直り編・床屋編 - 恋は大騒ぎ(1990年) ※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。
:* いつか どこかで(1991年) ※映画『いつか どこかで』の撮影風景を使用
* 三菱自動車 ミラージュ
:* 風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年)
* シャープ 液晶ビューカム
:* 風の坂道(1993年)
* 味の素 ほんだし
:* またたく星に願いを(1993年)
* 日産 エルグランド
:* 風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年)
* JRA ブランドCM
:* woh woh、19の頃(2000年)、風の街(2001年)、woh woh(2011年)
* 明治生命 / 明治安田生命
:* 言葉にできない(2000年 - 2003年 ※一時期、小田のライブ映像を使用)、たしかなこと(2004年)、オリジナル曲(2010年)
* ハウス食品 北海道シチュー
:* 大好きな君に(2003年)、
* 日本コカ・コーラ 緑茶「一(はじめ)」
:* オリジナル曲(2006年3月 - 6月)
*名古屋鉄道
:* 大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)
* マックスファクター
:* 若葉のひと(2009年3月)
* Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、朝日新聞社)
* キャディ(小田和正 著、1994年初版、スタジオシップ)
* YES-NO小田和正ヒストリー(小貫信昭 著、1998年初版、角川書店)
* たしかなこと(インタビュアー/著 小貫信昭、2005年初版、ソニー・マガジンズ)
* 小田和正歌詞集 風うた~恋~(小田和正 著、2006年初版、主婦と生活社)
* 小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、ジービー)
* 小田和正という生き方(落合真司 著、2009年初版、青弓社)
* 小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、幻冬舎)
*1985年 シングル「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。
*1991年 シングル 「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3ヶ月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。
*2001年 アルバム 『LOOKING BACK 2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8ヶ月(それまでの同記録は井上陽水『GOLDEN BEST』1999年7月 51歳0ヶ月)
*2002年 アルバム 『自己ベスト』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8ヶ月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8ヶ月)
*2004年『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3ヶ月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik(ノイエ・ムジーク)』1998年11月 44歳10ヶ月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は河村隆一『Love』1997年12月)
*2005年6月 アルバム 『そうかな』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9ヶ月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8ヶ月)
*2007年8月 シングル 「こころ」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11ヶ月(それまでの同記録は石原裕次郎「北の旅人」1987年8月 52歳7ヶ月)
*2007年12月 アルバム 『自己ベスト-2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3ヶ月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9ヶ月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。
*2010年4月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」
*2010年11月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上300万枚突破 最年長記録」63歳2ヶ月
*2011年4月 アルバム 『どーも』
**ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7ヶ月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3ヶ月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スター『ザ・ビートルズ1』(2000年11月27日付 60歳4ヶ月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は秋元順子の61歳7ヶ月(2009年1月26日付週間チャートでシングル『愛のままで…』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は吉田拓郎の63歳0ヶ月での6位獲得(2009年4月27日週間チャート付け『午前中に…』))。
**「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0ヶ月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録はマイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0ヶ月)
*2011年5月 アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8ヶ月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7ヶ月)
※現在、オリコン週間アルバムチャート1位の最年長記録を有している。シングルでは秋元順子の61歳7ヶ月での1位獲得(2009年1月26日付週間チャートで『愛のままで…』)まで最年長記録を有している。アルバムではジェフ・ベックの65歳9ヶ月での10位以内獲得(2010年4月5日付け週間チャートで『エモーション・アンド・コモーション』が9位獲得)まで最年長記録を有している。
男性ながらファルセットを使わず女声域までの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。オフコース初期には、バンドに女性ボーカルがいると間違われることもしばしばだったという。その少年のような歌声から変声期を経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。しかし、2005年のコンサート中のMCにて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えている。東北大学時代は混声合唱団でテノールを担当していた。
混声合唱団では、男性高音パートを受け持つテノールのパート・リーダーを務めた。声楽の褒め言葉として、「テノールのようなアルト」、「アルトのようなテノール」という表現があるが、小田の声はまさに後者にあたる。
「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1オクターブ低くなる。ウィーン少年合唱団の声は女声と同じ音域であるが小田の話声は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。ただ、小田の歌声の発声領域は、「ヘ音記号」楽譜の下のソ音(G)付近から「ト音記号」楽譜の上のレ音(D)付近までである。つまり、小田は女性の声域のさらに下に1オクターブ追加された声域ということになる。音域が広いため、よく聴いてみると高音部が目立つ楽曲の中にもアルトの領域を少し下に外れテノールの領域に入る部分が僅かに組み込まれているものもあり、男声として高域の伸びと声の質が小田の天性の魅力となっている。その発声はいわゆる、音の揺らぎ-ビブラート-の少ないフラットな澄んだ声であることと、音程の正しさも小田の高域の声の美しい印象を高めている。
小田のこの歌声は非常に女性受けがよく、オフコースの歌詞内容も相俟って、「オフコースはよく聴いたけどチューリップ(≒財津和夫)はほとんど聴かなかった」という女性は多い。
* 古今亭志ん生のファンである。
* カラオケで歌えるのは『港町十三番地』(美空ひばり)だけだとある雑誌のインタビューで答えている。
* オフコースが売れた頃、園遊会を断った。
* レコーディング時、松たか子を泣かせたことがあるが、矢井田瞳は泣かなかった。
* 松山千春に「コーラスやろうか?」と言われ、「お前が歌うとコブシが入るから要らない」 と答えた。
* 2008年夏に行われた「情熱大陸」のイベントで葉加瀬太郎は、「言葉にできない」を共演したが、小田の歌声に聞き惚れ、肝心のバイオリン演奏を忘れてしまった。
* 2008年9月10日の武道館ライヴを見に来ていた安室奈美恵と同じ誕生日だったことが縁で誕生日当日に互いに「おめでとう」のメール交換をした。
* オフコース時代の1973年頃、ひるのプレゼント(NHK総合)に柳家小さんとともに出演したことがある。
* 1985年に行われたライブエイドでは、司会を南こうせつと逸見政孝が務める中、矢沢永吉とともにフジテレビに出演した。
* 1984年2月14日放送のフジテレビ「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに、明石家さんまからの紹介で出演、普段から「苦手な芸能人」の1人と公言していたタモリを手こずらせた。小田は翌日のお友達に星野仙一を紹介している。
* 聖光学院では厳格な校則に不満を抱いていた。自習の時間に「体育の自習でもいいんだろ」と遊んでいたという。
* 聖光学院在学中、遠足が雨で中止になった際に友人とともに冗談で観光バスを手配したところ、本当にガイド付きのバスが来てしまったのでそのバスを貸し切って観光に出かけたことがある。
* サウンドコニファー229~青春の影~にてCHAGE and ASKAと共演した際、芸名では呼びにくいといい、二人のことを宮崎(ASKA)、柴田(CHAGE)と本名で呼び、本人達もそれを了承していた。
* 明治村が好きで、何度も足を運ぶ(特にフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルのミニチュアがお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する名古屋鉄道の企業CMで小田の曲が使われている。
オフィシャル・ファンクラブはないが、スタッフがパーティーやミーティングなどに活用しているプライベートスペースとして“Far East Cafe”が運営されている。通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。
また、Far East Cafeではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFE PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Cafeでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。
そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。
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