児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日、これは戸籍上の誕生日で、実際には1933年12月26日生まれ- )は、日本の俳優、タレント、司会者、作家。本名、北川 清(きたがわ きよし)。
東京市滝野川区(現東京都北区)出身。児玉清事務所代表。
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* 1958年 - 東宝映画第13期ニューフェイスに合格、芸能界入り。
* 1958年12月28日 - 映画『隠し砦の三悪人』で、芸能界デビュー。
* 1967年 - 東宝を退社、フリーとなり、児玉清事務所を立ち上げ。
* 1972年 - 日本放送作家協会賞男性演技者賞を受賞。
* 2011年5月16日 - 胃癌により逝去。
小学生の頃、群馬県・四万温泉に集団疎開した経験を持つ。東京都立工芸高等学校を経て、一浪して学習院大学文学部ドイツ文学科入学後、演劇部に入部。当初は道具係だったが、上背があるということで無理矢理舞台に上がらされたという。その後、1年先輩でフランス文学科の篠沢秀夫(現・学習院大学名誉教授)に見出され、篠沢が企画していた仏語劇『ブリタニキュス』(ラシーヌ作)の主役に抜擢される。フランス語はまったく知らなかったが、見事に演じ切り高い評価を得た。とはいえ、児玉は本来は役者志望ではなく、大学卒業後は学者になるため、大学院進学を目指していた。だが、学部卒業式の当日、母の急死により就職先を探さねばならなくなる。
しかし時季は4月目前、就職先が決まらず結局、知人が手を回して応募してくれていた東宝映画第13期ニューフェイス(新人俳優の募集)の面接試験に臨み、合格した。試験当日の朝は1時間前に急に思い立ち、世田谷区岡本の自宅そばにあった停留所にたまたま東宝撮影所行きのバスが停車、すかさず飛び乗り向かったこともあり、水着持参であることも知らず水着審査で下着のパンツ一枚で参加し審査員から奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。この逸話は『トリビアの泉』や著書『負けるのは美しく』(集英社)で明かされている。
東宝専属となったもののいわゆるエキストラとしてセリフのない通行人役が長らく続く。1959年封切「鉄腕投手 稲尾物語」に通行人役として出演、それまで撮影所の掲示板に貼り出される仕出しの仕事を無為にこなす日々を送っていたが、この作品は児玉にとって不本意だった俳優業に興味が沸き始める転機となった。それは当作品のロケで博多に滞在していたある夜、宿舎で年下のスター俳優に誘われ立ち寄った喫茶店で、サインを求めてきたウエイトレスが児玉も人気俳優だと思い込み色紙を差し出したところ、年下のスター俳優が「この人は雑魚だからサインを貰っても意味ないよ!」と言ったことに一念発起、「10年間は俳優として頑張ろう!」と心に誓う。その後は次第にセリフのある役柄を得るようになってはいたが、相変わらず端役が続いていた。
しかし、1961年4月封切の『別れていきるときも』で司葉子の初恋の相手役に抜擢されたことをきっかけに、頭角を現していく。黒澤明監督作『悪い奴ほどよく眠る』に出演した際は、「とにかく目立とう」と必要以上に大げさな演技やフレームインを繰り返し、激怒した黒澤にいじめ抜かれる。友人にそそのかされた児玉は「世界のクロサワ」を殴ることを決意するまでに至ったが、なんとか踏みとどまり、実行には移さずに出番を終える。のちに黒澤が自分のことを陰で「あの血気盛んさを10年持ち続ければものになる」と評価していたことを聞き、腰が砕けたと語っている。
1964年8月、東宝専属の中堅女優だった北川町子と結婚。まもなく彼女が女優を辞めたため、会社ばかりかベテラン女優の賀原夏子からも残念がられ、彼女が復帰する際は知らせてほしいと言われめげる。結局、1967年に東宝を退社してフリーとなり、テレビドラマに活動の場を移す。水前寺清子主演の『ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで活躍する。しかし、テレビドラマも機器の向上と演出方法の変化によりカット割りが多くなり、通しでの演技ができなくなったことから、徐々に仕事を減らすようになった。1975年に朝日放送のクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の司会者となり、36年にわたり司会を行った(詳細は後述)。
1990年代から本業だったテレビドラマの仕事に消極的だったが、2001年のドラマ『HERO』の出演依頼を断った際に、療養中の娘から説得され一転して引き受けたという。2002年、娘は当時4歳の息子を残し、胃癌により36歳で亡くなった。この頃より俳優としての出演も増え、若い世代からも人気を得るようになった。一方、同年12月にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』出演が好評だったことから、2003年6月から『テレフォン人生相談』のパーソナリティを担当するようになった。児玉の実体験を交えて悩みに回答するなど、リスナーからも親しまれていた。
2010年には19年ぶりのNHK大河ドラマとなる『龍馬伝』に出演し、主人公・坂本龍馬の父・八平を演じ、これが遺作となる。
2011年4月より、肝機能障害により緊急入院で療養のため、テレビ・ラジオ全番組の出演を休業していた。同年5月16日12時28分、胃癌のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去。77歳没。同年2月下旬より体調不良を訴え都内の病院にて検査をしたところ、胃癌が発見された。3月下旬より入院、詳しい検査と治療に努めていたが、肝臓への転移もあり、手術不可能な状態だったという。その後、ゴールデンウィークを過ぎてから容態が急変し、5月16日に息を引き取った。
なお、最後の仕事は、2011年3月23日に収録されたNHK BSプレミアムPR用映像(後述)。テレビ出演は同年4月30日放送の『ワーズハウスへようこそ』(日本テレビ)が最後となった。
通夜は5月20日、葬儀・告別式は5月21日に護国寺(東京都文京区)で営まれ、多くの芸能・放送関係者が弔問に訪れた。法名は「修讀院釋清優(しゅうとくいんしゃくしょうゆう)」。遺体は、新宿区の落合斎場で荼毘に付された。
没後の2011年5月27日には、放送文化基金賞の第37回特別賞授与が発表された。
読書家として
芸能界きっての読書家としても知られ、多くのエッセー・書評も執筆している。年に数回海外旅行に行く際には、飛行機内で分厚い英語原文の小説を読むことが楽しみであるという。なお大好きなポール・リンゼイ『覇者』(講談社刊)の解説では、お気に入りの『FBI物語』とそのほかの作品を比べ、熱く述べている。また、NHKの書評番組『週刊ブックレビュー』の進行役を週替わりで務めた他に、日本図書館協会などが主宰するシンポジウムのコメンテーターも務めたことがある。
朝日新聞出版の主催する公募文学賞『朝日時代小説大賞』の選考委員を務め、その関連で、山本一力・縄田一男との共著『ぼくらが惚れた時代小説』(朝日新書、2007年)や、その二人と共選で『人生を変えた時代小説傑作選』(文春文庫、2010年)を出している。
日焼けして読めなくなった古い文庫をやむなく捨てたところ、その本が絶版になり強く悔やんだ経験から、それ以来本を捨てないようになった。しかし1万冊以上の蔵書をかかえ、その重みで家の床が傾く等の問題が現実化したことから、誰かに預かってもらうことを検討していた。
林真理子(小説家)が児玉を成田国際空港で見かけた際に、児玉のハンドキャリー荷物は洋書1冊だけで、その1冊を検査機に通し、ピックアップする姿が非常に颯爽としていたことに感じ入ったと書き記している。
産経新聞にも2004年4月から2005年3月までの1年間、日曜日朝刊に書評を連載していた。その後も度々寄稿し、2008年2月24日付で紹介した「友よ 弔辞という詩」(サイラス・M・コープランド著)についての取り上げたのが最後となった。
最後の仕事となったNHK BSプレミアムのPR用映像には、読書家であり『週刊ブックレビュー』の司会も務めた児玉を象徴するかのように、古書店の店主役で出演した。この映像では、古書店を訪れた女子高生2人に児玉がBSプレミアムを薦める、というものであり、生前の代表作の一つ『アタック25』(後述)のノリも少し入っていた。後日、2011年5月28日『週刊ブックレビュー』の児玉の追悼企画「児玉清さん~本と歩いた18年」、2011年6月26日『Mr.サンデー』の特集「初公開…愛蔵本伝える児玉清さん"遺言"」でも映像が紹介された。
思想的立場として
保守的右派として有名だった児玉の思想的な立場として、以下のような逸話がある。
* 2006年『文藝春秋』7月号での「首相靖国神社に参拝に関するアンケート」という特集記事に寄稿している。内容は「自国の存立と繁栄を願って尊い命を投げ打った人間を祀る靖国神社に首相が参拝することは当然」とし「A級戦犯合祀ついては戦犯は戦勝国による烙印」にすぎない上に、彼らは死を以って贖罪は済ませているので、参拝の障害にならないと首相参拝を支持している。大戦に関しては「過去に過ちのない個人もいないように、過去に過ちのない国もない」と日本を擁護。「(中国の)反日運動こそ謀略だ」とし、中国の李肇星外相の発言や中国の著作権問題に言及して「滅茶苦茶な国の何たる妄言暴言か」と激しく非難している。
* 2011年3月、児玉が緊急入院する直前『文藝春秋』5月特別号の東日本大震災に関する特集記事「われらは何をなすべきか」に寄稿していた。内容は「この国の危機管理のお粗末さに日々唖然」から始まり、「"決死で頑張る"とか精神論を披歴するだけ、まるで昔の旧軍人総理となんら変わらない幼稚さ」であると、菅直人首相の震災への対応について厳しく批判。さらに東京電力による福島第一原子力発電所事故に対する対応についても「日本は完全に幼稚化した人間たちがリーダーシップを握っていることを露呈」などと綴ったものであった。また「被災地へヘリコプターで物資を投下」といった提言も行っている。原稿は手書きでFAXを使って寄稿されており、後に編集部に対し「内容に満足できないので、ボツでも構いません。ご判断をお任せします。必要とあれば書き直します」と電話で伝えてきたといわれる。
* また「われらは何をなすべきか」のひと月前、同じく『文藝春秋』の4月号にも寄稿し「誰もビジョンを示さない」「目先のことだけしか頭にない」と政治家たちを批判している。
切り絵
「俳優として売れないころ、何か作って(生活の)足しになればと思って始めた」のがきっかけで、長年切り絵を趣味としていた。テレビ朝日『徹子の部屋』(テレビ朝日)などのインタビュー番組への出演時にもその腕前が紹介された。2003年には自身の切り絵作品を紹介した『たったひとつの贈りもの わたしの切り絵のつくり方』を出版。2008年には竹内まりやのシングル『幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)』のジャケットとして、切り絵作品を制作し提供した。また、かつて『アタック25』のスポンサーであった東リから、児玉の切り絵を原画にしたラグとマット「HOOK RUG & MAT with KIYOSHI KODAMA」が発売された。死去直前に入院した際にも、切り絵の道具を病室に持ち込んでいたほどである。
『アタック25』の初代司会者として
児玉は朝日放送(ABC)のクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の司会者を、1975年の放送開始から2011年の死去直前の第1795回まで36年間にわたって務めた。この期間中、1984年に急性腹膜炎による入院のために収録を1度休んだのみで通算出演回数は1793回となる。
パワフル、臨機応変で尚且つスピード感の溢れたキレのある進行振りが好評を博していたことから、昨今ではこの番組抜きに児玉は語れないほどになっていた。
『パネルクイズ アタック25』での児玉は司会者だけでなく、番組のブレーンも務めていた。クイズ問題を作成する際、自らが得意とするドイツ文学などの問題では「こちらを答えにした方がいいのでは」と児玉自らスタッフに助言したり、収録前の問題最終チェックも児玉自身がスタッフと共に検討を行っていた。また、誤答のブザーを押していたのも児玉自身であり、独自の間合いやアドリブなどを駆使しての番組進行ぶりは全て編集なしであったという。また晩年は「最近は問題が長くなったね」と苦言を呈したりもしていた。
アタックチャンス前の休憩中には児玉が出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせる役目も担っていた。クイズファンの間では『児玉飴』として親しまれ、出場者の中には飴を記念に持ち帰る人もいたという。更にスタッフをも気遣い、海外旅行紹介のビデオテープ収録のほか慰労会(宴会、ゴルフコンペなど)でも机上に「ファミリー」として振舞ったという。
また、解答者がクイズに正解した場合、「正解」ではなく「結構!」または「その通り!」と言うのが大きな特徴であったが、2007年6月頃から「正解!」とも言うようになった。これは「博多華丸が児玉の物真似をするようになってから、バラエティー番組で執拗に「その通り!」を連発するようになり、客席からクスクス笑い声が時々聞こえたことを意識し、それを言い続けると逆に自分がそれを真似ているのかもしれないという思いで変更した」と、フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』2007年9月5日放送の「テレフォンショッキング」にゲスト出演した際に語っていた。晩年は、「正解」「結構」が半々ぐらいの割合で聞かれることが多く「その通り」は回数が少なくなった。
また、毎回収録が終わると、観客を最後の一人まで見送っていた。見送りの際、色紙に自らのサインを渡す相手の名前を聞いて書いていたほど、律儀な姿勢を貫いた。
インターネット上では、この番組に由来していた「アタックチャンス」(もしくは『ミスター・アタックチャンス』)というニックネームで親しまれていた。児玉のアタックチャンスは俳優らしく低声な声が有名だった。
児玉は2011年2月19日付の日刊スポーツ大阪版でのインタビュー記事にて、『アタック25』への思いを語っていた。
; 死去前後の動き
2011年4月、緊急の肝機能障害による入院のため、3月17日(4月3・10日の放映分)の収録を最後に、2度目の休業に入った。また、4月17日以降の放送分では代役として、ABCアナウンサーの浦川泰幸が司会を務めてきた。なお、5月9日に、早ければ5月12日の収録(15日・22日放送分)より復帰することが報道で明らかにされたものの、5月11日、体調が戻らないことから「しばらく休ませてほしい。復帰の際は事務所から発表します」とABCに連絡があり、無期限休養に入ったことが明らかにされた。ABCサイドは「児玉さん(の復帰)を待ちたい」と、司会交代については否定していた。
児玉は入院中も、担当医師に「大阪まで行くのに、飛行機と新幹線のどちらがいいか」と尋ねたり、ピンクのスカーフを巻くなどおしゃれに気を使いつつ、復帰に意欲を見せていた。また、見舞いに訪れた加藤明子(ABCアナウンサー、2009年より問題読み担当)には「去年(2010年)の10月に胃カメラ飲んどけば良かったんだなぁ」と、病気の早期発見が出来なかったことを悔やむ言葉を漏らしていたという。
こうした中で児玉自身も、周囲の者たちも願っていた仕事復帰が叶わず、児玉は5月16日死去。翌17日夜より、ABCは番組公式サイトにて児玉への追悼メッセージを掲載した。
児玉の死去に伴い、ABCでは22日の『アタック25』の通常放送を休止し、追悼特別番組『さようなら 児玉清さん ~パネルクイズ アタック25特別番組~』を放送。5月19日に収録が行われ、浦川と加藤が司会を担当。収録後、浦川は「病床の児玉さんから『浦川君なりのアタックをやってくれたらいいよ』とメッセージを頂きました」と振り返った。ABCサイドの話によると、病床で浦川の司会する『アタック25』を見ながら、物真似をしていたという。番組では『アタック25』における児玉の数々の名場面・名語録集のみならず、俳優として出演したテレビドラマなどの映像、VTR出演という形で石坂浩二と福山雅治が登場して故人との想い出を語るなど、人間・児玉清に焦点を当てた内容構成であった。また、腸捻転時代の毎日放送(MBS)制作の『東リクイズ・イエス・ノー』のスチール写真や、ABCの創立30周年記念特番(1980年3月15日放送)で落語を披露する児玉の映像も紹介された。
『アタック25』のプロデューサーを17年間務めた、現・ABCテレビ制作部部長の岩城正良は児玉の訃報に際し「叱ってもらえる人が他界された…。本当に寂しい限りです。安らかに永眠されることを願っております」と哀悼のコメントを寄せた。
なお『アタック25』については5月29日以降、浦川が司会を引き継ぐうえで番組を継続することが決まり、浦川は「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした。5月29日放送の冒頭において、浦川が児玉逝去の旨を改めて伝えた。
また、番組開始時にスポンサーであった東リの公式ホームページにも、児玉の逝去を悼む旨がPDFで掲載された。
その他
* 実際の出生日は1933年12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていた(法律上は1902年に満年齢を使用する事が定められていたが、慣習上太平洋戦争後まで使われていた)ため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が出生日「1月1日」で出生届を出したという。
* 前述の通り『パネルクイズ アタック25』の司会者で有名な児玉だったが、TBS『クイズダービー』にゲスト解答者として出演した時(篠沢秀夫が1枠レギュラーになる前)、解答できずに「わからず」と書いたこともあった。解答できなかった問題は「戦時中英語は敵性語とされ日本語に置き換えられたが、『あてこすり』といえばいったい何であるか?」だった(ちなみに正解はマッチ)。
* 1984年秋、深夜に激しい腹痛を覚え、盲腸の破裂に因る急性腹膜炎を起こし3週間入院した。この折『アタック25』の司会代役を務めたのは、タレントの板東英二(元プロ野球中日ドラゴンズ投手)である。
* T.M.Revolutionの西川貴教から「理想の父親」として尊敬されており、ニッポン放送『西川貴教のオールナイトニッポン』に度々出演した。タレントのYOUも番組などで好みの男性として名をあげるのも有名な話。
* 息子は北川大祐で、一時期、児玉大輔や北川大輔、本名でタレントとして活動していたが、後に引退して会社員をしている。娘は前述の死去までマネージャーを務めていた。
* 自称「オリンピックおたく」(2008年7月10日、日本経済新聞「交遊抄」への投稿より)だが、2004年のアテネオリンピックまでは現地にて観戦したことがなかった。アテネへの現地観戦は、『美女か野獣』で共演して以来親交のあった福山雅治(テレビ朝日でオリンピックのカメラマン・リポーターを担当)から、関連番組のナレーション依頼を兼ねて誘われたことによる。
* 2011年正月(児玉の77歳の誕生日である1月1日)には親族とともに喜寿のお祝いをした。フランス料理を食べ、バーに行き、そして蕎麦でお開きとした。その後、急激に体調を崩したという。
* また、晩年は口髭を生やしてテレビ出演していたため、その口髭もトレードマークとなり有名となった。
映画
* 隠し砦の三悪人(1958年12月28日、東宝)
* 侍とお姐ちゃん(1960年1月9日、東宝)
* 非情都市(1960年2月21日、東宝)
* 黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年3月13日、東宝)
* サラリーマン出世太閤記 花婿部長No.1(1960年3月29日、東宝)
* 電送人間(1960年4月10日、東宝)
* 恐妻党総裁に栄光あれ(1960年5月10日、東宝)
* 青い野獣(1960年6月26日、東宝)
* 夜の流れ(1960年7月12日、東宝)
* 悪い奴ほどよく眠る(1960年9月15日、東宝)
* ああ女難(1960年12月6日、東宝)
* サラリーマン忠臣蔵(1960年12月25日、東宝)
* 南の風と波(1961年2月14日、東宝)
* 続・サラリーマン忠臣蔵(1961年2月25日、東宝)
* 別れて生きるときも(1961年4月4日、東宝)
* 金づくり無法時代(1961年5月9日、東京映画)
* 黒い画集 ある遭難(1961年6月17日、東宝)
* 守屋浩の三度笠シリーズ 泣きとうござんす(1961年7月23日、東宝)
* 守屋浩の三度笠シリーズ 有難や三度笠(1961年8月6日、東宝)
* アッちゃんのベビーギャング(1961年9月17日、東宝)
* B・G物語 二十才の設計(1961年10月29日、東宝)
* ガンバー課長(1961年12月17日、東宝)
* サラリーマン清水港(1962年1月3日、東宝)
* その場所に女ありて(1962年1月28日、東宝)
* はぐれ念仏 喜まんだら(1962年2月24日、東宝)
* 続・サラリーマン清水港(1962年3月7日、東宝)
* 愛のうず潮(1962年5月22日、東宝)
* 僕たちの失敗(1962年9月1日、東宝)
* 早乙女家の娘たち(1962年9月8日、東宝)
* 箱根山(1962年9月15日、東宝)
* 地方記者(1962年10月13日、東宝)
* サラリーマン無鉄砲一家(1963年2月8日、東宝)
* 妻という名の女たち(1963年5月22日、東宝)
* 秘剣(1963年8月31日、東宝)
* 国際秘密警察 指令第八号(1963年8月31日、東宝)
* 女の歴史(1963年11月16日、東宝)
* 今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝)
* ただいま診察中(1964年5月30日、東宝)
* 裸の重役 (1964年7月1日、東宝)
* 団地・七つの大罪(1964年12月9日、宝塚映画)
* 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1964年12月19日、東宝)
* 戦場にながれる歌(1965年8月13日、東宝)
* 馬鹿と鋏(1965年12月5日、東宝)
* 女は幾万ありとても(1966年2月12日、東宝)
* 日本のいちばん長い日(1967年8月3日、東宝)
* 日本海大海戦(1969年8月1日、東宝)
* 妖婆(1976年10月16日、松竹)
* ザ・ラストUボート(1993年、日独米墺合作)
* スチームボーイ(2004年、東宝) ※声の出演
* HERO(2007年、東宝) - 鍋島利光役
テレビドラマ
* 義経くん奮戦記(1964年、TBS)
* 青春とはなんだ(1965年 - 1966年、日本テレビ)
* あじさいの歌(1966年、日本テレビ)
* 女と味噌汁 その5(1966年、TBS)
* これが青春だ 第30話「美人投票」(1967年7月9日、日本テレビ)
* 霧の旗(1967年、NET)
* 春よこい(1969年、TBS)
* 水曜劇場「甘柿しぶ柿つるし柿」(1969年 - 1970年、TBS)
* ありがとう 第1シリーズ(1970年、TBS)
* こどもが帰ったあとからは(1970年、TBS)
* 花は花よめ 第1シリーズ(1970年 - 1971年、日本テレビ)
* 肝っ玉かあさん 第3シリーズ(1971年 - 1972年、TBS)
* ありがとう 第2シリーズ(1972年 - 1973年、TBS)
* 花は花よめ 第2シリーズ(1972年 - 1973年、日本テレビ)
* ありがとう 第3シリーズ(1973年 - 1974年、TBS)
* 東芝日曜劇場「霧のサンフランシスコ」(1974年、TBS)
* おんな家族(1974年、TBS)
* 夏の家族(1974年、フジテレビ)
* 花は花よめ 第3シリーズ(1974年-1975年、日本テレビ)
* 女の小箱(1975年、よみうりテレビ)
* 結婚前夜シリーズ・姉妹(1976年、TBS)
* 女の家庭(1978年、フジテレビ)- チーフパーサー佐竹役
* 白い巨塔(1978年、フジテレビ)- 関口弁護士役
* 大河ドラマ「黄金の日日」(1978年、NHK) - 徳川家康役
* 東芝日曜劇場「松本清張おんなシリーズ・記憶」(1978年、TBS) - 野上和也役
* 沿線地図(1979年、TBS、松本誠治 役)
* 大河ドラマ「獅子の時代」(1980年、NHK) - 瑞穂屋卯三郎役
* 熱い秋(1980年、TBS)
* 想い出づくり。(1981年、TBS)
* 嫁がず、出もどり、小姑(1981年 - 1982年、フジテレビ)
* 親と子の誤算(1982年、TBS)
* 大河ドラマ「山河燃ゆ」(1984年、NHK) - 島木文弥役
* 武蔵坊弁慶(1986年、NHK)-富樫家経役
* 木曜ゴールデンドラマ「ガラスの中の幸福」(1986年、よみうりテレビ)
* 大河ドラマ「武田信玄」(1988年、NHK) - 飯富虎昌役
* ラストダンス(1990年、東海テレビ)
* 大河ドラマ「太平記」(1991年、NHK) - 金沢貞顕役
* 素顔のままで(1992年、フジテレビ) - 香坂修造役
* かりん(1993年 - 1994年、NHK) - 野中辰彦役
* 銀行 男たちのサバイバル(1994年、NHK)
* つばさ(1994年、NHK)
* 大地の子(1995年、NHK)
* HERO(2001年、フジテレビ)- 鍋島利光役
* 恋ノチカラ(2002年、フジテレビ)
* 天体観測(2002年、関西テレビ)
* 美女か野獣(2003年、フジテレビ)- 桜木恭一郎役
* ラストクリスマス(2004年、フジテレビ)
* 連続テレビ小説「ファイト」(2005年、NHK) - 駒田隆行(疎開した四万温泉の旅館の主人)役
* 危険なアネキ(2005年、フジテレビ)
* トップキャスター(2006年、フジテレビ)
* HERO 特別編(2006年、フジテレビ)- 鍋島利光役
* こんにちは、母さん(2007年、NHK)- 荻生直文役
* ドリーム☆アゲイン(2007年、日本テレビ)- 田中役
* 鹿男あをによし(2008年、フジテレビ) - リチャード役
* コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-(2008年・2009年・2010年、フジテレビ)- 田所良昭seah.fujitv.co.jp/sc-p/xmt49役
* ニュース速報は流れた(2009年、フジテレビワンツーネクスト)- 遠藤圭一役
* 大河ドラマ「龍馬伝」(2010年、NHK)- 坂本八平(主人公・坂本龍馬の父)役
舞台
* サウンド・オブ・ミュージック(1982年、日生劇場) - トラップ大佐役
バラエティ・その他のテレビ番組
* テレビナイトショー(1969年 、フジテレビ) - 司会
* 朝のワイドショー(1970年 、日本テレビ) - 司会
* 東リクイズ・イエス・ノー(1974年 - 1975年、毎日放送) - 司会
* パネルクイズ アタック25(1975年 - 2011年、ABC) - 司会
* 土曜映画劇場(1975年 - 1977年、NET→テレビ朝日) - 4代目解説者
* 人工衛星クイズ(1984年 、日本テレビ) - 司会
* TVムック・謎学の旅(1985年 - 1990年、日本テレビ) - ナビケーター(準レギュラー)
* 週刊ブックレビュー(1993年 - 2011年、NHK-BS2→NHK BSプレミアム) - 司会
* そこが知りたい(1991年 - 1993年、TBS) - リポーター
* 仮面の告白(1992年 - 1993年、日本テレビ)
* びっくり法律旅行社(2007年 - 2009年、NHK総合) - 児玉トラベル社長(司会)
* テレビでドイツ語(2008年・2009年・2010年、NHK教育)
* ワーズハウスへようこそ(2009年 - 2011年 、日本テレビ) - 五十音文蔵役
ラジオ
* テレフォン人生相談(2003年 - 2011年、ニッポン放送)
* 高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン(2007年 - 2008年、ニッポン放送) - 金曜日レギュラーコメンテーター
* 朗読・藤沢周平傑作選(2009年 - 2011年、ニッポン放送)
* きょうも元気でわくわくラジオ「耳より生活情報 ブックコラム」(2007年、NHKラジオ第1)
* ラジオ深夜便「人生私流」(2008年11月8日・9日、NHKラジオ第1)
* ラジオビタミン「児玉清の読み出したら止まらない」(2008年 - 2011年、NHKラジオ第1、毎月第2週の金曜日)
CM
* 小林製薬、頭痛薬「ハッキリ」
* 小林製薬、肩こり薬「アンメルツ」
* アルインコ - 一時期『アタック25』の提供スポンサーであった。
* 東北電力
* トヨタ自動車、マークII(1980年)
* 日興證券(現:SMBC日興証券)(1987年)
* 大川荘(会津若松市・芦ノ牧温泉)(1991年 - 1992年)
* 救心製薬 、救心(1993年 - 2001年)
* ニッサン石鹸(1995年) -「清潔一筋、誠実一筋、ニッサン石鹸です」のナレーションで有名。『アタック25』の提供を一時期務めていた。
* サントリー、モルツ(1999年)
* 日本コカ・コーラ、大豆ノススメ(2005年) - 柳葉敏郎と共演
* 日本たばこ産業、ディライト・ファクトリー(2006年)ナレーション
* パイオニア、楽ナビ(2006年)
* 日産自動車、オッティ(2007年)ナレーション
* 日産自動車、ピノ(2007年)ナレーション
* 日産自動車、モコ(2007年)ナレーション
ゲームソフト
* 富士通パソコンシステムズ「パネルクイズ アタック25」(1998年) - プレイステーション版およびパソコン版のゲームソフト。児玉が映像と声で出演した。当時の出題者である相馬宏美も児玉と同様に映像と声で出演したほか、パッケージに児玉・相馬の写真が掲載されている。
* デジキューブ「パネルクイズ アタック25」(2002年) - プレイステーション2版。ゲーム内に登場する児玉はCGで、声は児玉本人によるもの。当時の出題者である沢木美佳子も児玉と同様にCGと声で出演したほか、パッケージに児玉・沢木の写真が掲載されている(バックはパネルボード)。
*『図書』(岩波書店の書店配布冊子)
* 総兵衛見参!(新潮文庫の「新・古着屋総兵衛」の書店配布小冊子、2010年11月29日、佐伯泰英と東京・青山にて特別対談)
* 寝ても覚めても本の虫(新潮社、2001年、ISBN 4104495018 / 新潮文庫、2007年)
* たったひとつの贈りもの - わたしの切り絵のつくりかた(朝日出版社、2003年、ISBN 4255002495)
* 負けるのは美しく(集英社、2005年、ISBN 4087747743 / 集英社文庫、2008年)
* 児玉清の「あの作家に会いたい」 - 人と作品をめぐる25の対話 (PHP研究所、2009年、ISBN 4569770048)
* 上橋菜穂子『神の守り人』(上下、新潮社文庫)
* 遠藤展子『父・藤沢周平との暮らし』(新潮文庫)
* 北方謙三『鬼哭の剣』(新潮社文庫)
* 北原亞以子『おひで』(新潮文庫)
* 城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫)
* 玉岡かおる『天涯の船』(上下、新潮文庫)
* 蜂谷涼『雪えくぼ』(新潮文庫)
* 宮部みゆき『孤宿の人』(上下、新潮文庫)
* 宮本輝『天の夜曲』(新潮文庫)
* 山本一力『かんじき飛脚』(新潮文庫)
* 和田竜『忍びの国』(新潮文庫)
* 百田尚樹『永遠の0』(講談社文庫)
* ケン・フォレット『大聖堂―果てしなき物語』(全4巻、ソフトバンク文庫)
* 万城目学『鹿男あをによし』(幻冬舎文庫)
* シュテファン・ツヴァイク - 20世紀初頭のオーストリアの作家で、児玉は彼の作品に感動し学習院大学独文科に進学し、卒業論文のテーマにもツヴァイクを選んだ。
* 田宮二郎 - 学習院時代の同期で、『白い巨塔』で共演した。児玉と同様、俳優であると同時にテレビ司会者としても活躍していた。
* 篠沢秀夫 - 学習院大学時代からの友人。篠沢がALSで倒れてからの療養生活を追った『「ALS、フランス文学そして妻」~篠沢秀夫さんの日々~』(NHK教育、2010年9月2日放送)の番組では、児玉が篠沢の私邸へ見舞いに訪れる場面があった。
* 石坂浩二 - 『ありがとう』で共演以来、親交深い俳優。『アタック25』に解答者として出演した事がある。
* 安倍晋三 -『文藝春秋』誌上で彼が小泉政権以降の首相にふさわしいという趣旨の寄稿をした。それをきっかけに安倍との会談が実現した。
* 博多華丸 - 児玉のモノマネを十八番とする芸人。2006年9月には『アタック25』に解答者として出演した。
* 竹内まりや - 竹内からの依頼により、シングル『幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)』のジャケットの切り絵を作成した。
* 福山雅治 - ドラマ『美女か野獣』共演時、児玉の好きな「オリンピックおたく」ネタで意気投合し、オリンピックで一緒に観戦する友人となった(2008年7月10日、日本経済新聞「交遊抄」への投稿より)。大河ドラマ『龍馬伝』でも共演した。
* 浦川泰幸 - 朝日放送アナウンサーで、『アタック25』後任司会者(児玉以外での進行としては実に27年ぶり)。追悼特番の司会も務めた。
* 板東英二 - 児玉が盲腸による入院で、『アタック25』代役司会を務めた。
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